なので早速今日から始めます。
金曜日, 11月 28, 2008
月曜日, 7月 28, 2008
ラタトゥーユ
夕方から突然の頭痛に見舞われて、少し早く(といっても20時半すぎ)に帰途についた。少しよくなった帰宅後に、出張で消費しきれていなかった、先週届いた宅配野菜をいっきに出してきて、ラタトゥーユをつくる、ウェブでレシピを検索しながら。
夏野菜を炒めて、本来ならホールトマトをいれるところを今回は生トマトで、水分はいれずにコンソメとバジルと少しのケチャップとで味付けしたら、ちゃんと野菜から水分がでてきて、煮込みになった。にんにくをいれていないので、甘みにかけたけどもなかなか。
先日食べた恵比寿neuf cafeのが甘くて美味(しかも温かいバージョン)だったので、今年のマイブームとして試行錯誤していこう。
日曜日, 7月 27, 2008
中国に行きたかった
実家ではよく眠れる。それでも昼12時には起こされて家族と昼食をとる。
暑い夏は戦争の話を聞く、という風習があるわけではないけれども、祖父母の昔話が聞きたいと思った。祖父はやはり自分の経歴を年/月で覚えていて、さすがそういうところが男性だと思う。(祖母はまったく覚えていない) 昼食後の食卓で祖父が語った経歴を記録しておきます。
S9 金光中学校卒業(中学校は5年間いく)
〜S10 倉敷レーヨン就職 退職
岡山県の臨時職員へ(土木部里美川改修事務所)
S12.9.1 国鉄入社 倉敷駅改札
S13 金光駅改札
S14.9.1 広島鉄道局 岡山用品庫
S16.10 華北交通(株)天津鉄道局
S18.9 日本に戻る(結婚のため)
S18.10.1 結婚式
S18.10.5 汽車に乗って下関ー釜山ー奉天ーー天津へ
S19.4 徐州鉄道局経理部 配属(祖父だけ先に徐州へ)
S19.8 祖母も徐州へ
祖母が出産のため先に帰国
S20.5.23 父誕生
S20.8.15 終戦
S21.3.15 祖父日本に帰国
S21.12 岡山用品庫
昔から祖父の中国の話をよく聞いていて、背が足らなかったのと耳が少し悪かったので徴兵されなかった祖父が代わりに鉄道で中国にいったのだと思っていた。そうではなくて、「中国に行きたい人?」と社内公募があって、中国に行きたかった祖父は手をあげたのだそうだ。この事実を今日初めて知った(戦争体験として、もっとセンチメンタルな印象をもっていたが、実際はこんなに明るい決断だったのだった。)
また祖母は軍事教練の教官に「中国はいいぞー。いっぺん中国に行ってみ〜」と言われたのが印象に残っていて、「いつか中国にいってみたいなあ」と友達同士、ささやきあっていたところに、祖父とのお見合い話がきて、祖母は「中国に行きたい!」と思って承諾したのだそうだ。そして結婚式の4日後には汽車で中国へ向かう。朗らかな祖母らしい、大胆な決断だなあと思った。けらけら笑いながらそういう話をする祖母は素敵だ。中国では怖いと思ったいたけど、まったくそういう思いをすることはなく、まわりの人によくしてもらって帰ってきた。(当時の天津には日本人が7万人いたとのこと)
祖父は中国で4級通訳の資格をとったという。私が幼い頃から、家の前を通る人に中国語で話かけて訝しがられていたが、私もそういう環境なので、イー/アル/サン/スーと数えることだけはできた。(それは一昨年の北京旅行でまったく役にたたなかったけれど)
今日初めて、事の真相を知って驚いたが、私は小さい頃からよく聞いていた戦争の話を、これからの若い人が聞く機会は減るだろうし、直接聞ける環境にあったのに、意外にもしらない事実があったりするのだから、よほど意識的にならないと後世に残らないのではないかとも思った。
土曜日, 7月 05, 2008
青年団「眠れない夜なんてない」
吉祥寺シアターに友人に誘われて。
青年団は昨年初めてこまばアゴラ劇場で「火宅か修羅か」を見て、良質さに感銘を受け、これまで見た芝居でもかなり上位だと、一緒に見た芝居仲間と語りあった。
その後2月に「冬のサミット2007」に参加させていただき、観劇のご案内もいただいているので、なるべく見ていきたいと思っている。
この芝居はマレーシアにリタイア後に移住した日本人たちの狭いコミュニティが舞台だが、終演後に吉祥寺の沖縄料理にてこの日一緒にみた3人で語り合って、より深い部分を読み取れたように思う。一人ではここまで気づかなかったと思ったら、友人との観劇はいいものだ。
メモ
・東南アジアでは日本人はお金持ちになってしまうことをあらかじめ期待して移住しているのに、チップを払って現地の子供を荷物運びに使うことができないでいる。
・登場人物たちが何かしら日本には帰りたくない事情をかかえている(家が暗い、とか、昔いじめられたとか)。
・病気のことは共有しようと声かけあっている=死ぬことに向かって生きている
・東南アジアはかつて日本軍が植民地化した土地。親戚の東南アジアの戦場での話を知った上でこの土地にきていること。
・こういったことがわざわざここにきているのに、現地に入り込むのではなく、日本のままでまるでシュルターのようにただ生きて、死んでいくということを実感させる。一見ゆとりがあるようで、根深い問題にすべてふたをして、それらから逃げている人たちの集まりは、見るものに不自然さを感じさせる。それにより、この根深い問題についてきちんと考えることを問題提起しているように感じる。
金曜日, 7月 04, 2008
火曜日, 7月 01, 2008
月曜日, 6月 30, 2008
西日本巡業 岡山ー高松ー東京
朝7時に起きても間に合うくらい、岡山ー高松は瀬戸大橋を渡って1本、1時間でつく。
そういう通勤の人が比較的いて、のんびり車内は岡山の田園風景を経て、あっと言う間に海上へ。快晴の瀬戸内海。おだやかな通勤電車。一方で私は仕事モードにシフトして、ノートPCを広げて仕事していたらすぐに高松についた。
ひさしぶりだなあ、と何年ぶりかと思ったら、1997年の大木監督の「デジヤマ」ワークショップに参加して2週間滞在したあと、瀬戸内映像祭の上映会を見に来たのが1998年(?だったかな)、その後前職時代に店を見に来たのが2005年頃だがそのときは車だったのでJR高松駅にこなかった。約10年ぶりの高松駅はすっかり変わって、進む方角に迷う。
15分ほど歩いて商店街に入る。
仕事を終えて、東京への最終1つ前に余裕で間に合わそうと思って駅に急いだが、逃したので駅ビル本屋で白州正子と三島由紀夫の文庫を買い、時間をつぶす。
帰りのマリンライナーからザ四国な、ぽこんぽこんと山があり、そうかあデジヤマのとき大木監督が「デジタルの1、0、1、0、を山が象徴している」といっていたけど、まさにぽこんとある山が「1」で、何もない平野が「0」でという風にも感じることができる、とぼんやり考える。そして車窓は夕焼けの瀬戸内海。
海が終わる頃には暗闇で、鷲羽山ハイランドの観覧車の明かりが見えた。
岡山駅でダッシュで乗り換えたら、最終手前ののぞみに間に合い、いつも通りの出張の帰り、大衆的な新幹線だったので、その前の高松〜瀬戸内海の風景があまりにも観光旅行的で現実離れしていたことに驚いた。
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