月曜日, 7月 28, 2008

ラタトゥーユ

夕方から突然の頭痛に見舞われて、少し早く(といっても20時半すぎ)に帰途についた。少しよくなった帰宅後に、出張で消費しきれていなかった、先週届いた宅配野菜をいっきに出してきて、ラタトゥーユをつくる、ウェブでレシピを検索しながら。
夏野菜を炒めて、本来ならホールトマトをいれるところを今回は生トマトで、水分はいれずにコンソメとバジルと少しのケチャップとで味付けしたら、ちゃんと野菜から水分がでてきて、煮込みになった。にんにくをいれていないので、甘みにかけたけどもなかなか。
先日食べた恵比寿neuf cafeのが甘くて美味(しかも温かいバージョン)だったので、今年のマイブームとして試行錯誤していこう。

日曜日, 7月 27, 2008

中国に行きたかった

実家ではよく眠れる。それでも昼12時には起こされて家族と昼食をとる。
暑い夏は戦争の話を聞く、という風習があるわけではないけれども、祖父母の昔話が聞きたいと思った。祖父はやはり自分の経歴を年/月で覚えていて、さすがそういうところが男性だと思う。(祖母はまったく覚えていない) 昼食後の食卓で祖父が語った経歴を記録しておきます。

S9       金光中学校卒業(中学校は5年間いく)
〜S10     倉敷レーヨン就職 退職
        岡山県の臨時職員へ(土木部里美川改修事務所)
S12.9.1  国鉄入社 倉敷駅改札
S13         金光駅改札
S14.9.1  広島鉄道局 岡山用品庫
S16.10   華北交通(株)天津鉄道局
S18.9             日本に戻る(結婚のため)
S18.10.1 結婚式 
S18.10.5 汽車に乗って下関ー釜山ー奉天ーー天津へ
S19.4       徐州鉄道局経理部 配属(祖父だけ先に徐州へ)
S19.8    祖母も徐州へ
       祖母が出産のため先に帰国
S20.5.23    父誕生
S20.8.15 終戦
S21.3.15    祖父日本に帰国
S21.12         岡山用品庫

昔から祖父の中国の話をよく聞いていて、背が足らなかったのと耳が少し悪かったので徴兵されなかった祖父が代わりに鉄道で中国にいったのだと思っていた。そうではなくて、「中国に行きたい人?」と社内公募があって、中国に行きたかった祖父は手をあげたのだそうだ。この事実を今日初めて知った(戦争体験として、もっとセンチメンタルな印象をもっていたが、実際はこんなに明るい決断だったのだった。)
また祖母は軍事教練の教官に「中国はいいぞー。いっぺん中国に行ってみ〜」と言われたのが印象に残っていて、「いつか中国にいってみたいなあ」と友達同士、ささやきあっていたところに、祖父とのお見合い話がきて、祖母は「中国に行きたい!」と思って承諾したのだそうだ。そして結婚式の4日後には汽車で中国へ向かう。朗らかな祖母らしい、大胆な決断だなあと思った。けらけら笑いながらそういう話をする祖母は素敵だ。中国では怖いと思ったいたけど、まったくそういう思いをすることはなく、まわりの人によくしてもらって帰ってきた。(当時の天津には日本人が7万人いたとのこと)

祖父は中国で4級通訳の資格をとったという。私が幼い頃から、家の前を通る人に中国語で話かけて訝しがられていたが、私もそういう環境なので、イー/アル/サン/スーと数えることだけはできた。(それは一昨年の北京旅行でまったく役にたたなかったけれど)

今日初めて、事の真相を知って驚いたが、私は小さい頃からよく聞いていた戦争の話を、これからの若い人が聞く機会は減るだろうし、直接聞ける環境にあったのに、意外にもしらない事実があったりするのだから、よほど意識的にならないと後世に残らないのではないかとも思った。
 


土曜日, 7月 05, 2008

青年団「眠れない夜なんてない」

吉祥寺シアターに友人に誘われて。
青年団は昨年初めてこまばアゴラ劇場で「火宅か修羅か」を見て、良質さに感銘を受け、これまで見た芝居でもかなり上位だと、一緒に見た芝居仲間と語りあった。
その後2月に「冬のサミット2007」に参加させていただき、観劇のご案内もいただいているので、なるべく見ていきたいと思っている。

この芝居はマレーシアにリタイア後に移住した日本人たちの狭いコミュニティが舞台だが、終演後に吉祥寺の沖縄料理にてこの日一緒にみた3人で語り合って、より深い部分を読み取れたように思う。一人ではここまで気づかなかったと思ったら、友人との観劇はいいものだ。

メモ
・東南アジアでは日本人はお金持ちになってしまうことをあらかじめ期待して移住しているのに、チップを払って現地の子供を荷物運びに使うことができないでいる。
・登場人物たちが何かしら日本には帰りたくない事情をかかえている(家が暗い、とか、昔いじめられたとか)。
・病気のことは共有しようと声かけあっている=死ぬことに向かって生きている
・東南アジアはかつて日本軍が植民地化した土地。親戚の東南アジアの戦場での話を知った上でこの土地にきていること。
・こういったことがわざわざここにきているのに、現地に入り込むのではなく、日本のままでまるでシュルターのようにただ生きて、死んでいくということを実感させる。一見ゆとりがあるようで、根深い問題にすべてふたをして、それらから逃げている人たちの集まりは、見るものに不自然さを感じさせる。それにより、この根深い問題についてきちんと考えることを問題提起しているように感じる。

金曜日, 7月 04, 2008

うまい茹で豚

友人の転職祝いで、恵比寿有名豚肉屋に集合。
本店は実は初めてきたが、別館に比べて落ち着く感じ。
以前はしょっちゅう飲んで、食べてしていたメンバーだが、今回はひさしぶりの集まりだった。近況報告もすぐに話はそれて、笑いがたえない朗らかな会でした。
そのまま近隣のソウルバーにて深夜まで。

火曜日, 7月 01, 2008

懐古

会社をやめていく人と話をするというとネガティブに聞こえるが、朗らかに過去と未来を語り合えれば、いいことだ。
激動の2年間を、一緒に共有した仲間は大事にして、きちんと過去を振り返ることは、大事なことを見逃さないようにするために必要だ。
この機会をつくってよかった。